「投球障害の発症予測システムの開発」

2013スポーツフォーラム ランチョンにて 亀山顕太郎・石井壮郞

ここでは、「いくつかのフィジカルチェックを行い、その結果から発症予測を行う」という内容の話をします。

 

まずはシステムの開発経緯に関して話をします。

 

投球障害予防一番の問題点は選手の油断!無関心!です。

選手は勝ちたいから練習がしたいので投球制限なんて守りません。また、予防エクササイズは地味でつまらない上にパフォーマンスに直結しないので関心も持たないのが現状です。

 

そこで・・・障害予防の必要性を感じてもらうために、天気予報の降水確率のように発症確率を求めてはと考えました。

降水確率は多くの情報、統計、科学的根拠をもとに雨が降る確率を数値化しています。降水確率70%と聞くと多少面倒でも、傘を持っていくというのは日常よく目にする光景です。このように数字というのはヒトに関心をもたせる能力をもっているのではと考えたのです。

 

障害予防も発症確率という形で、多くの情報、統計、科学的根拠をもとに数値化すれば、「障害予防が本当に必要な選手の障害予防意識の向上が可能ではないか」と考えました。このように根拠のある正確な予測をすることで、選手の行動を変えられるのではないかと思いついたのです!

 

続いて システムの実際についてお話をします。

 

用いるソフトはエクセルです。まず、これにシステムを組み込みます。次に理学所見、問診の結果を入力しますと自動計算され・・・下のページのような発症シートができます。

 

発症シートには、一年以内の投球障害肩を発症する確率の他に、個々の弱点が分かるようになっています。

 

このように数字で発症確率を見せられるとほとんどの選手が「え?どうすれば良いんですか?」と発症確率を下げる方法を知りたがります。

(写真は某社会人野球部での導入例;医師がその場で発症シートを選手に提示しているところ)

 

選手が障害予防に関心を持ったところで、選手個々の弱点を説明し、個々の弱点に応じたメニューを行い問題点を克服すれば発症確率が下がることを伝えると、当然選手は感心を持って個々に与えられたメニューをこなすようになります。もちろん予防方法は個々の弱点にあったオーダーメードでなければなりません!

 

これこそまさに、障害予防が本当に必要な選手の予防意識を向上する方法だと考えます。ただ・・・予測がいい加減では選手の意識を変えることは当然できません。このシステムで一番重要なのは、「正確な予測」を提示して選手から信頼してもらうことです。

 

では、どうすればそのような方法を開発できるのか・・・次の開発方法でお話をします。

このようなシステムの開発には前向き研究が必要です。無症候期にフィジカルチェックを行い、選手の経過を追って、どのようなチェックに引っかかった選手が発症するかを観察しなくてはなりません。

さらに、このような前向き研究に「ロジスティック回帰分析」を加えると未来の発症を予測することができます。

 

ところで・・・ロジスティック回帰分析って聞いたことありますか?

このロジスティック回帰分析はスポーツ医学に応用すると、①発症確率が予測でき、②危険因子が明確になります。

 

つまり、ロジスティック回帰分析を用いると、発症確率を求めることで選手のモチベーションの向上が図られ、危険因子が分かることで逆に不必要な因子(フィジカルチェック項目)も明確になるのでチェックの効率化にもつながります。

 

なんか便利なのは分かったと思いますが、ロジスティック回帰分析なんて聞くと・・・難しいのではと感じると思います。ただ、統計ソフトがあれば大丈夫です。後は、数冊の本を読めばどうにか理解できるレベルです。

 

ロジスティック回帰分析に関して少し話をしますと

①まずはオッズ比ですが、ここではどの理学所見・問診が発症の有無にどの程度影響するかという影響の強さを表します。たとえば、オッズ比5であれば、1数字が大きくなれば発症しやすさが5倍になるのです。

②次に回帰式を求めると発症確率が分かります。(詳細は専門書で・・・)

 

ここで某大学硬式野球部での開発例を見せたいと思います。

 

大学野球部員69名を対象に100項目以上のフィジカルチェックを行い、2週間毎の問診と理学所見で投球障害肩の発症の有無を1年間経過観察しました(前向き研究)。さらに前向き研究に加え、ロジスティック回帰分析を用いてオッズ比と発症確率の回帰式を求めました。

 

これが求められたオッズ比です。

投捕手Odds19.7とは、投捕手は野手と比べて19.7発症しやすくなることを表してます。

肩障害の既往歴Odds 6.7とは、過去一年間に肩障害の既往がある人は、ない人と比べて6.7発症しやすいことを表してます。

肩甲上腕リズムOdds2.8とは、「異常がある人は」は「異常がない人」と比べて2.8発症しやすいことを表してます。

踵殿距離Odds1.3とは、踵殿距離が1cm延長するごとに1.3倍ずつ発症しやすくなることを表してます。

 

発症を予測する回帰式を算出すると発症確率が求まります。

難しい式は置いといて・・・実際この回帰式を用いて予測した結果が左下のグラフです。グラフを見て頂きたいのですが、予測値で発症確率が50%未満だった選手が27名で、そのうち22名が発症しなかったため的中!うち5名は発症したため外れ!という結果になりました。また、予測値が50%以上だった選手が36名で、そのうち30名は発症したので的中!うち6名は発症しなかったので外れという結果になりました。

合わせた正診率は82.5%という結果でした。天気予報の的中率が80%と言われているので、ある程度正確な予測が可能であることが分かると思います。

 

ではこのシステムの現場での導入事例を紹介します。

 

まずは、某大学硬式野球部での導入例です。

 

102名の部員に対してフィジカルチェックを行い発症確率と個々の危険因子を発症予測シートに載せて選手に見せました。

 

アンケート調査をすると発症予測シートを見た選手の96%が、障害予防意識が向上したと答えてくれました。

 

選手が「どうすればいいの?」と障害予防の意識が向上した時点で、レーダーチャートを示しながら個々の弱点に応じた予防プログラムを立案・作成し、何が問題か、どうすれば解決できるかを説明しました。

 

結果・・・システム導入後に有病率は下がり、チームの順位も上がりました!

 

次は、某社会人野球部での導入例を紹介します。

 

某社会人チームでは、投手11名を対象にフィジカルチェックを行い発症確率を求めました。

医師が選手に発症確率と問題点を説明しているところにチーム専属のトレーナーも同席しました。このようにチームの専属トレーナーが同席していると、チームの中で誰が要注意人物かトレーナーも把握が可能になります。

 

結果・・・

発症確率システム導入前のシーズンは11人中6人が肩の故障をしてしまったのに対して、システム導入後のシーズンは11人中1人のみ!と肩の故障者を激減させることに成功しました。トレーナーからは「危険の高い(発症確率の高い)選手から早め早めにケアした結果です!」とのコメントを頂きました。

 

ここまでの話では良い部分の紹介をしてきましたが、実はこのシステムには課題は多々あります・・・

次はその課題と今後の展望に関して話をします。

 

発症予測システムの一つ目の課題・・・

それは、データベースが大学生であるため小中学生の選手には適応できないということです。これを解決するためには、データベースを小中学生に拡大する必要があります。

二つ目の課題は、検者再現性が低いということです。肩甲上腕リズムの判定や踵殿距離を測定する際に測定者が押す強さなど、再現性に乏しい理学所見があるのは否めません。今後は、検者再現性が高くかつ簡便な評価を考える必要があります。これを実現するためには、医療の現場で活躍する理学療法士だけではなくスポーツの現場で活躍するトレーナーなどの経験・カンが大切になってくると感じます。

これらのアイデアとデータがそろえばもっと良いシステムができると確信しています!

 

発症予測システムの今後の展望としては・・・

より精度を上げるために、より普遍的にするために経時的なデータ集積が必要になります。

つまり、フィジカルチェックを行い予防エクササイズを指導するだけではなく・・・、しっかり発症調査を行い効果の確認をし、その調査をもとにロジスティック回帰分析を行い、不必要な(オッズ比の低い)フィジカルチェックを抽出・削除し、新しいフィジカルチェックを導入するという繰り返しが重要となってきます。

そうすることで良いモノだけが残って行きます。5回(5年)繰り返せば、かなり精度の高いフィジカルチェック項目ができあがると考えています。

 

もう一つ、より精度を上げるために、より普遍的にするためには、組織や地域の垣根を越えた多方面からのデータ集積が必要になります。

一つの施設や一つの組織のアイデアやデータに頼るのではなく、色々な人、施設、組織のアイデアとデータを集積し、データを共有し、共同で開発していくことが必要になります。

これを実現させれば普遍的なフィジカルチェックが全国に広がり、全国レベルの障害予防が可能になると考えます。

 

最後に現在の取り組みを紹介します。

 

現在の取り組みとしては、松戸整形外科病院でサポート契約を行っている高校野球チームでのデータ収集と、千葉県理学療法士会「スポーツ健康増進支援部」で行っている投球障害予防教室があります。

 

高校野球での取り組みは、新チームになった8月にフィジカルチェックを行い選手の経過を追っております。この研究に参加してもらうことで、チーム全体の障害予防に対する意識も高まり、障害発生率も自然と減少してきます。研究に参加協力してくれるだけで結果がでるというのもこのシステムの特徴かと思います。

 

もう一つの千葉県理学療法士会スポーツ健康増進支援部で取り組んでいる「投球障害予防教室」は、2012年度は千葉県内6地区8会場で開催予定で、選手の参加目標人数は400名としております。

内容は、フィジカルチェック20項目とフォームチェック5項目を行い、個々の問題点に対する対処法を指導するという内容です。選手、指導者からの評判も上々で、年々参加者は増加傾向にありますが、フィジカルチェックを行い、個々の問題点を指摘するところで流れが止まっていました。

 

 

今後は、半年後に発症調査を行いしっかり選手の経過を追いたいと思っています。そこで、投球障害予防教室後に肩や肘に痛みが出たかを確認することが重要になります。

痛みに関する評価は難しいのですが、「痛いけどパフォーマンスには影響がなかった」「痛くてパフォーマンスが低下した」「痛くて投げられなかった」など、分類することでより現場に即した評価になると考えます。

アンケートの結果から、どのフィジカルチェックが陽性だった選手が投球障害を発症しやすいかを調べて、ロジスティック回帰分析を用いてオッズ比の高い項目のみ残し、新しい評価項目を追加するという経時的な取り組みを行いたいと考えています。

 

この取り組みはまさに「経時的なデータ集積」と「多方面からのデータ集積」を千葉県内において構築しているモデルになる取り組みであり、今後の展開が楽しみな取り組みです。

 

最終的には効率的な(オッズの高い)チェック項目数個にして・・・

 

新潟の野球手帳のような取り組みを真似して全少年野球選手に情報を載せて配布をしたり、ネットで情報を発信することで、スポーツ現場や家庭で手軽にチェックできるようにしていきたいと考えています。

 

最後に投球障害の発症予測システムのまとめです。

 

今回、フィジカルチェックを行い、ロジスティック回帰分析を用いて発症確率を求め、同時にチェックの効率化ができるというシステムを開発しました。

今後は、医療現場またはスポーツ現場からアイデアとデータを共通のベースで集め、共同研究を行っていくことで、システムの妥当性および普遍性があがるものと考えています。今度は、そこで得られたデータを発症予測および予防法の啓蒙という形で現場に還元し、さらに現場での効果を検証し次につなげていくという取り組みを行っていきたいと考えています。そのためには、より多くの人の協力が必要です。